ピアノ ―ウクライナの尊厳を守る闘い―

ピアノ ―ウクライナの尊厳を守る闘い―

監督 ビータ・マリア・ドルィガス
撮影:ユラ・デュネイ、アレクサンダー・チューコ
編集:トーマス・チェセールスキー
音響:フランシスコ・コズラウスキー
配給 アジアンドキュメンタリーズ

予告編

TRAILER

あの時、
誰かがピアノを演奏していたんだ。

イントロダクション

INTRODUCTION

わが身も魂も捧げよう 我らの自由を得るために ウクライナに栄光あれ!

わが身も魂も捧げよう

我らの自由を得るために

ウクライナに栄光あれ!

2014年2月、親ロシア派の政権に抗議する市民や学生が機動隊と対峙した「ユーロ・マイダン革命」。
この騒乱の真っただ中の首都キーウの独立広場で、音楽院の学生アントネッタ・ミッシェンコがバリケードにされようとしていたピアノを救い出した。
厳寒の広場で若きアントネッタが演奏するショパンは人々の心をつかむ。
そして世界的に有名な作曲家であるリュドミラ・チチュクや兵士のヴォロディミル、覆面の男ボーダンも演奏に加わっていく。
政権側は彼らを「ピアノ過激派」と呼んだ。広場のピアノと4人の英雄は、やがてウクライナの平和革命の象徴となり、同時に権威主義的支配への抵抗となっていく。

親ロシア政権が倒れた2014年、
「ユーロ・マイダン革命」

2014年2月、ウクライナの首都キーウの独立広場では、当時の親ロシア派のヤヌコビッチ政権に反対した市民らが軍や警察と衝突して多くの死傷者が出ました。ウクライナ人の尊厳を守るための闘いと言われる「ユーロ・マイダン革命」です。この革命により、ヤヌコーヴィチ大統領が失脚し、隣のロシアへ亡命することになりました。
この革命によって、新たな政権の発足や、2004年憲法の復活、数ヶ月以内の臨時大統領選挙の成し遂げなど多くの成果をあげ、ウクライナの政治・社会に大きな変化をもたらしました。
一方で、親ロシア派のヤヌコーヴィチ大統領の失脚は、ロシアの猛反発を招き、ウクライナ領のクリミア半島のロシア併合、親ロシア派武装勢力によるドンバス地方での戦争勃発、クリミア危機・ウクライナ東部紛争、そしてウクライナへのロシア侵攻へとつながっていきました。

親ロシア政権が倒れた2014年、「ユーロ・マイダン革命」

監督プロフィール

PROFILE

監督

ビータ・マリア・ドルィガス

監督:ビータ・マリア・ドルィガス

1984年リトアニア出身。
ポーランドで活動する女性ドキュメンタリー映画監督。
父親はドキュメンタリー映画監督のマチェイ・ドルィガス。
母親はポーランドで脚本家・編集者をしている。
ワルシャワ大学でフランス語研究を卒業。
ウッチの映画学校の写真部門で学び、ポーランドの名匠アンジェイ・ワイダ監督が設立した映画マスタースクールを修了。
写真家、撮影監督としても活動している。

映画祭 / 受賞歴

2017年 MiradasDoc(スペイン)グランプリ受賞
2016年 ORL Eagle Awards(ポーランド)ドキュメンタリー映画部門 最優秀賞
2016年 ヴィリニュス国際映画祭(リトアニア)
2015年 クラクフ映画祭(ポーランド)
2016年 パルヌ映画祭(エストニア)
2016年 堤川国際音楽映画祭(韓国)
2016年 モトヴン映画祭(クロアチア)

監督からのメッセージ

Q. 戦争や暴力に対して、音楽や映画、芸術がどのような力を持つと監督はお考えでしょうか? ウクライナ国旗の色に塗られ通りに置かれたピアノが人々を魅了し、みんなでウクライナ国歌や心を奮い立たせる歌を歌う姿は、映画の特別なテーマになると思いました。
この映画に登場するのは、プロのピアニストだけではありません。「ユーロ・マイダン革命」で実際に戦った人々も、可能な限りあのピアノを演奏しました。ピアノは人々に安らぎを与えましたが、その一方で、共に国歌を歌うことにより民衆に団結をもたらしました。国歌を歌えば高揚した気分になりますが、それはある意味、人々に戦い続ける勇気を与えることにもなりました。
そのことは、ウクライナの他の街で警官たちがピアノを破壊したという事実からもよく分かります。警察は人々が団結するのを恐れたのです。

Q. ウクライナは今、戦禍によって大変困難な状況にあります。 監督は本作を通して、日本の人々にどんなメッセージを伝えたいですか? ウクライナは、地理的には日本から遠く離れていますが、日本の皆さんにもぜひ、ウクライナの人々を支援して頂きたいと思います。
今、自由のために戦っているウクライナを、世界中で支援すべきです。病院や兵士たち、難民たちへの人道支援が欠かせません。
まずは、経済的援助が必要とされています。
そして、この映画を観た皆さんが、それぞれ何かを感じ、ウクライナでの出来事やこの戦争の理不尽さについて関心をもって下さればいいと思っています。

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